わが娘も今年から小学校。親としても喜びと不安が入り混じった不思議な感じである。
そんな中でこんな話を耳にした。「学級崩壊」
崩壊という言葉がふさわしい内容であった。授業にならない。先生を先生と認めない子供。投げ出してしまう先生。
何がそうさせたのか?子供たちに何が起こっているのか?
しかも、小学生である。中学校や高校の話ではない。
学級崩壊の内容を聞いていて、私が腹が立つ。怒りが込み上げたときにふと気がついたのは、その自分の中の矛先が生徒ではなく親や先生に腹が立った。
勉強だけを学ぶだけではなく、社会性も学ぶはずの学校。
子供たちがこの世に生まれ初めての社会は「家族」そして幼稚園や保育所、小学校と年齢と共に環境が変わる、環境が変わるときにルールが変わる。その社会が与えたルールの中で自己主張をしたり抑えたりと自分を変化させることを要求される。
例えば、「このお菓子は甘い。」と自分は確信していても複数の人が、「ぜんぜん甘くない。」と言えば確信していたことが自分だけの意見で主張できなくなってしまい、複数の人間に合わさざるを得ない結果になる。でも内心ではこのお菓子は甘いと思っている。
これは味覚という感覚の話だけであって、見るもの、聞くもの、感じるもの、全てにおいて感性は同じではない。
だからといって全ての人間が自己主張したのでは社会が成り立たない。
先生に対して暴言を吐く、他の生徒に迷惑をかける、誰が聞いても人道的に反した行為について親の考え方を子供に伝えることができない親。そんな子供に真っ向から立ち向かうことができない先生。
しかし、全ての親や先生の話ではない。多数の親や先生たちは一生懸命の子供たちを育ている。一部の親、先生が多数の社会の人々を不安にさせている。
いったいこの国は何を子供たちに残すのだろうか。
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