��Dサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読みはじめたことはブログでもお伝えしました。読み終えたら感想を掲載しようと思っていましたが、あまりの読解力の無さに自分でも情けなくなりました。
著者が伝えようとしていること何なのか?
訳されている言葉「インチキ」「偽り」「悪態」など子供であれば無邪気さと言えるかもしれないが、世の中を上手く渡り歩く大人たちへの反社会的な言葉が多くある。
この主人公の解釈の仕方が難しい。始めは単なる反社会的な異端児にしか感じられない。
基本的に私は受け入れられない。何かにつけて極端な偽りを大人や友人に当てはめていく。最近の何たら評論家やコメンテーターに多い感じ。
でも中盤ごろからは、嫌いという感覚が無くなっていく。
主人公のイノセンス(無邪気)を感じ取ることはできなかったが、
誰もが言葉や行動にしないだけで持っている思考。
簡単に言葉にしたら、社会には受け入れられない。
この本が1950年(昭和25年)ごろに発表された時代を考えると、かなり刺激が強い本かもしれない。
まだ読んだことの無い方、ぜひ読んでみてください。
両方読んだけどこれについては村上春樹訳じゃないほうがいい気がする。だって野崎さんのホールデンの方がほっておけない感じがするんだな。自分ぽいのかな・・・大人になった今でも強く反体制な気持ちを持ってる人にしか読みにくい本になっているのかもしれないですね。あるいはその時の境遇や環境にもよるんじゃないでしょうか、感じ方が。
返信削除