東海大学硬式庭球部創部50周年

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我が母校東海大学テニス部創部50周年記念式典への出席のため横浜へ行きました。
大学、高校と神奈川県で過ごしたころの横浜駅周辺とは大きく様変わりしていた。
東海大学テニス部卒業生約200名が集り、昔話に花が咲いていました。

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遺影は横田部長。遺影を持つのは旧姓横田光子、今でも親しくさせて頂いている。ジュニア時代はトップ選手。ジュニアのころからプロと対等に戦っていたプレーヤーだった。

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良き時代の先輩達。20年ぶりの再会だが、なにも変わらない。
変わるのは姿かたちだけ。

私の卒業は平成2年。19年前である。
昭和60年ごろが東海大学テニス部の全盛期であった。
中野陽夫さん、村上武資さん、武鑓正芳さんなど在学中にプロ転向する選手が多くいました。

私が入学するころには既にプロ転向しテニス部には居ませんでした。私が入学したころ、主力選手がプロへ転向し主力選手が抜け、大学一部リーグで王座を狙う立場から二部リーグへ降格、三部リーグとの入替え戦がかかるほどの状況でした。

そんな中で入部したため、監督、部長、主将が一部昇格へ向け猛烈な特訓の日々だったことを思い出します。
私たち昭和63年組は10名が退部、上下合わせ約20名が退部する大問題が起きた時代。そのころのことを先輩たちが酒を交わしながら話してくれました。

そんな話を聞きながら、もう少しテニスを続けても良かったな。
なんで止めてくれなかったんですか。など後悔の話が続きました。
猛烈な特訓と寮生活のストレスや理不尽なことばかりの不満。
それが「体育会」と言ってしまえばそれまでだが、肉体的精神的に限界を感じていたころに冷静に物事を考える余裕などない。
現状を自分達が反乱することで変えられるかもしれないなどと安易な考えを起こす。

これも経験の一つとして自分の中には大きな位置づけとなっている。
自分が後悔したことをこれからの若者には繰り返して欲しくない。
志したものを貫く精神。大切だと思う。

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