はじまったこと

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佐野元春からはじまった。と題して、結果的に何がはじまったのか。

このエピソードも随分昔のブログに書いたがまた書いてもいいかと思い書く。

中学のころ友人の家に遊びに行き、友人のお兄さんの部屋で流れていた音楽が佐野元春だった。
この時、もし隣にあった「長渕剛」だったらどうだったのか?
この時私には選択があった。「貸してあげるよ。」と2枚貸してくれたのだ。
一枚は佐野元春、二枚目目は長渕剛。

そして、中学3年の時クラスに一人の転校生(松山から)が来た。
私が佐野元春の歌詞をおぼえようと休み時間に歌詞を書き写していたら、「俺も佐野元春好きなんだ」と声をかけてきた。それから佐野元春を聞く友人が3人になり4人になり増えて行った。

今は交流はないが、会うとたぶんその話で盛り上がると思う。今話してみたいね。

根拠はないが、佐野元春を好きな人には何らかの共通点があると思う。
表面だけの音楽のノリでファンは続けられない。
あの時、佐野さんの音楽が好きになったことで「いい友人」に恵まれたってこと。

だから佐野元春からいい友達の循環がはじまっていると思う。


中学の時、「このクソばば!」と母親を罵っていた反抗期でも佐野さんの音楽は聞き続けられた。
そして今でもどこかで「尖った」感じでいられるのは佐野さんの曲のおかげ。

高校の時、一人上京し寮生活の中で、やせ我慢で大人っぽく振る舞えたのは佐野さんのおかげだと思う。その当時は何もわからない。

人間的に私は完全に保守的な人間だと思っている。
だけど、大きな組織や規制や理不尽なルールを突き付けられると「反発」するかもしれない。
そんな風に少しかっこつけた大人でいられるのは佐野元春からはじまっていると思う。

だから、今の自分の存在している形が全て「佐野元春」ではないが大きく影響していることには間違いない。「佐野元春」からはじまった友人たちからの影響も大きいと思っている。
これからも影響は受け続けられると思う。間違いなくいい方向に。

いいことがはじまった。

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