火曜日午後のクラスに私の同級生が3人います。
同窓会をした時に、「サイン帳」が出てきた。ということで今度持ってきてよ。とお願いしていました。
レッスン後にお茶をしながらその「サイン帳」を見せてもらった。
私は古高松小学校出身ですが、5年生が終わり6年生になるころに生徒数が多いので古高松南小学校と別れることになりました。その時に女子たちはクラスメイトや仲のいい友達とサイン帳にメッセージを書きあっていたらしいのです。
今のレッスン生旧姓Kさんとは同じクラスだったので、私が小学5年生に書いたメッセージがありました。
ということで恥ずかしいですがご紹介したいと思います。
この当時「漫才ブーム」だったからなのか、よくわかりませんが、「ころんだ、ころんだ、オーデコロンだ」と書いていました。しかも「Y.O天才少年!」・・・・・ドラえもんのような変形した絵。・・・・
なんでしょうね・・・・今から30年以上前のことですからおぼえているはずもなく。
でも、”紙”に書いていることがとても新鮮でした。
今はメールやパソコンでの活字ですが、手紙のように直筆で間違ったりしているところや、なんて書いているのかよくわからなかったり。ふざけているのか、本気なのか?それすらもおぼえていない。
でも、紙に書いていたから今でも残っているんでしょうね。
今の書類やメッセージなんかは30年後に残っているかどうかわからない。年賀状一つとっても、全て手書きの年賀状はめずらしい。なので、今の子供達にはよく理解できないことだと思います。
サイン帳にメッセージや電話番号や生年月日や自分のことをこの紙一枚に目的も無く書くわけですから。
でも、その”目的”が無いところと、この紙一枚に書いている時は、この後に読むであろう「相手のこと」を思って書いていることが重要です。
手紙のいいところはこの書いている瞬間なんだと思います。
中学校時代のもあったので見せてもらいましたが、同じ人でも小学生に書いたものと中学生に書いたものでは、当然ですが伝えているものが違うし、個人差も大きくでていた。
歌の詩を引用していたり、押しつけがましく説教っぽかったり、カッコつけていたり、優しい人なんだろうなというのが伝わったり。
そういうのが小学生の時には出しきれていない。出せたとしたらかなり早熟なんでしょうかね。
書いている時に30年後に同じ自分が読み返すなんて考えても無いことですからね。
今でも付き合いがある人のを読み返すと、「あーなるほどね」と思う。
ということは、紙一枚に書くことすら人間の本質は変わらないということなんでしょうかね。
じや、私の本質はこの一枚に出ているのかと思うとゾッとします。
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