おみくじも客観的な意見

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レッスンは今日が2012年の初日。
風も強く冷え込みも強くなっている。

毎年、1月2日に私たち家族はいつもお世話になっている屋島のふもとの大宮神社にお参りに行きます。
おみくじも子供達と一緒に引くのですが、今年は神社に結ばずに持ち帰ることにした。

神頼みするわけではないですが、これも一つの客観的な意見、言葉だと受け止めてみようかと思っただけ。

古いことを改め、新しきことを初めるによし。
水中の大魚 進むところ大浪おこり。
時に乗ずると大漁を得る。
心して落ち着いて事を構えれば。
神仏のご加護を受ける。

何か考え事をしている時に、こういう言葉を聞くと一気にアクセル踏んでしまいそう。
今は大きな道の分岐点に立っていることが自覚できています。
右に行くのか左に行くのか?通りすがりの人に「道の先になにがありますか?」と問いかけても自分の気持ちを決定づけるものは何もない。

ただ道には大きな標識があって一つは「直進・安全・この先道幅狭し」もう一つは「山道・危険注意」
という感じかな。
問題はその道の先に何があるのかってことと、道を進む目的は何かということであり、道がガタガタであろう狭かろうが、登りであろうが下りであろうが問題ではない。

直線的で安全でも道幅が狭くなっていずれ行き止まりになるかもしれない道を仲良くお手てつないで歩くより、危険と隣り合わせの山道の登った先が素晴らしい景色かもしれないし、何もない荒野かもしれないが、みんなで力を合わせて登ってみてもいいんじゃないかと。

昨日も書きましたが「異質」です。この異質がどこまで共有できるのかがカギ。

コメント

  1. そういえば、僕も去年のおみくじを会社の机に入れてる
    「争いごと 負けておくがよい」ってのが気に入って
    悪い奴はやっつけないと気が済まなかったんだけど、勝った気にさせとくのもありなんだなと…解釈違うかな?

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