11月2日

11月2日(日)屋島テニスクラブにて「角陸コーチを偲ぶ会」が行われました。
9月6日(土)午後7時に角陸コーチの訃報を受けてから約2か月弱の月日が流れました。
あまりにも急で、屋島テニスクラブもスタッフも当たり前だったことが当たり前ではなくなった。
この2か月弱の間は、できる限りの状態で維持するのが精いっぱいで、お客様に迷惑をかけてしまったり、期日が間に合わない仕事があったりと気の張った時間でした。
11月2日偲ぶ会を機会に、自分の中でいろんなことを整理整頓することができそうな気がします。

なので偲ぶ会、閉会の挨拶では、心に込み上げることが大きすぎて、まともな挨拶もできませんでした。
大変申し訳なく思っています。

角陸コーチを誘うと断らないので、仕事が遅くなった時とかにラーメン屋さんに寄って帰ったことを思い出します。そこでもテニスか仕事の話をして、「こうしよう!」「こんなことやってみよう!」とか前向きで活力のでる話をよくしました。

入院した時のお見舞いでも角陸コーチは「あと定年まで12年だなー、早いなー」と話し、私も、「今までが駆け足で来たから、少し一旦停止みたいな感じで休暇でもとれば」とこれからまだまだ続くはずであったし、今年もスタッフミーティングで屋島テニスクラブのありたい姿を話し合って「日本一大切にしたいテニスクラブ」を目指そう!と決めたばかり。
そんな矢先のことでした。

私の親友が骨髄性白血病になった時も「この世には神様はいない。」と思ったし、今回もそう思った、
無念で悔しい思い。
私たちがこれからできることは、角陸コーチを忘れないことと、この悔しさをを機にスタッフが一致団結し天国から見ている角陸コーチに今年みんなで目標にした日本一大切にしたいテニスクラブの達成を捧げること。

目を開いて一歩前に前進します。




コメント

  1. 最近自分のブログを読み返してるんだ。一昨年の11月2日は緑膿菌のせいで12回の弱い薬の治療法になるかもと言われて家族で落ち込んだ日だったらしい。去年はリハビリのつもりの自転車でだいぶ疲れて寝てばかりいた日だったみたい。今年は幼稚園のバザーに行ったよ。
    佐野さんのコンサートでいくつか君と聴きたかったなと思った曲があった。二曲だけ書いておくと「Us」と「夜空の果てまで」
    君と角陸さんのことを考えて聴きながら泣いた。
    僕達はまだまだ夢をみて前に進むことができる。きっとそうだよ。

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